エピソード
vol
43

「自分は大丈夫」が口癖のお父様が自らホームに入居された訳

2015年02月05日

80代後半のA様は「自分は大丈夫」「安易に人の手を借りることは好かん、できることは自分でやる」が口癖。 そんなA様がある日「一度ホームを見てみたい」とホームにお見えになりました。

私(お客様相談担当S)がご相談を受けた事例を紹介いたします。

待ち合わせの時間になっても一向に現れないA様は

私がA様の入居相談を担当させていただいたのは、今からもう何年も前のこと。当時、お客様相談の仕事を始めたばかりだった私にとって、A様に初めてお会いした日のことは、今でも痛烈に記憶に残っています。

それは、まだ涼しさの残る初夏のこと。A様から「一度ホームを見てみたい」とご連絡をいただいた私は、指定されたホームでA様がいらっしゃるのを、首を長くしてお待ちしておりました。

ところが、時間になってもA様が現れる気配は一向にありません。ご自宅に連絡しても繋がらず、携帯電話の番号をお聞きしていなかったこともあり、「何かあったのかもしれない」と心配しながらも何もできず、ただひたすらホームでA様をお待ちするしかありませんでした。

A様がようやくおみえになったのは、約束の時間から1時間ほど経過した頃。いらっしゃったA様のお姿を見て、私は思わず驚愕してしまいました。

両手に杖をつき、窮屈そうに足を引きずるようにして必死に歩かれ、汗だくでいらっしゃったA様のお姿は、事前にA様からうかがっていた「身体は元気で大丈夫」というお話とは、あまりにもかけ離れたお姿だったのです。

聞けば、ご自宅からホームまで2kmほどの道のりを3時間以上かけて歩いて来られたとのこと。「タクシーをご利用されなかったのですか?」とうかがうと、「そうやって安易に他人の手を借りるのは好かん」とバッサリと切り返されてしまいました。

「大丈夫」という言葉の裏にある不安を探して

タクシーの件からも推察される通り、A様はとにかく周りの手を借りることを嫌がる方でした。当時は80代後半でしたが、お一人で生活されており、「他人が家に来るのは嫌だ」とヘルパーなども雇われなかったようです。

若い頃は大工の棟梁をされていたそうで、まさに「昔堅気」を絵に描いたような人物。後日聞いた話ですが、A様の一人暮らしに不安を覚えた息子様が過去に老人ホームの入居を検討されたそうなのですが、「父のあの性格では、ホームの入居に到底『うん』と言ってはもらえまい」とA様に話す前に諦めていたそうです。

そんなA様が、自らの意思でホームの見学に来られた。

落ち着かれたA様とお話をしていても、「まだ大丈夫」という言葉が時折聞かれます。まだ経験の浅かった私は、素朴に「大丈夫なら、なぜ見学に来たのだろう…?」と不思議でたまりませんでした。

そこで、「大丈夫だ」とおっしゃっているA様にあえて「最近生活の中で困ったことを教えてください」と水を向けると、A様が抱えていらっしゃる不安や、生活に対する不自由さが段々と明らかになっていきました。

まず、ご自宅から2kmの道のりを歩いて来たA様ですが、少し前に転倒して骨折され、現在もリハビリ中であること(通常であれば車椅子で生活されるほどの状態)がわかりました。また、緑内障のため目が見えにくく、日常生活の中で値札や瓶の中身がわからずに非常に不便をしていること。

さらに、A様は糖尿病もお持ちで、食事の管理に非常に煩わしさを感じられていることもわかりました。

自立心が強く、周りに安易に助けを求めることができないA様だからこそ、「ホームに見学に行く」という行為自体が、声なきSOSだったのかもしれません。少なくとも、私の目には、A様が自宅でお一人で暮らすのは限界であると感じられました。

「ホームの生活には制約が多い」という先入観を覆して

A様の「大丈夫」という言葉の裏には、「ホームに入ったら今の自由な生活が送れなくなる」という、自由を失うことへの抵抗感があるようでした。

「ホームに入っても自分の好きなペースで過ごしたい、自分の好きなように時間を使いたい」というA様のご希望に最大限こたえるために、まずはホームの自由さを知っていただくことから始めました。

特に、かつて大工の棟梁であったA様は自らの手で建てた我が家に大きな愛着を持たれていましたので、ホームに入居した後も自由に自宅と行き来でき、ホームへの入居がこれまでの生活との決別ではないことをご理解いただきました。

また、何でも自分でやらないと気のすまないA様だからこそ、「ご自分でできることはご自分で、ホームのお手伝いが必要な分はホームで」と切り分けていただくことで、ご自宅での生活よりも不便なく過ごしていただけるようになることをご理解いただきました。

このようなお話を経て、A様もホームでの生活に今まで以上に魅力を感じていただき、最終的にご入居に至ることとなりました。

ご入居当日、A様は「骨折以来、家族がわざわざ遠くから見舞いに来てくれて申し訳なかった。これで心配かけなくてすむ」とポツリとこぼされました。きっとそれは、ご家族様を含め、なかなか周りの方に頼ることのできないA様が、ふと漏らした本音だったのではないかと思います。

ご入居後、A様はホームのスタッフが困るくらいに元気になられ、定期的に自宅に帰られたり、旅行にお出かけになったり、ご入居前よりも自由を満喫した生活を送られています。
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