エピソード
vol
66

ご家族様の入居への葛藤「本音の言葉」から、一歩前へ

2016年11月11日

軽度認知症のお姑様をお一人でみてこられたA様。 「これからどうなるのか、いつまでこの生活が続くのか」 将来への不安を抱え、老人ホームの話を切り出せず…。

私(お客様相談担当I)がご相談を受けた事例を紹介いたします。

「いつまでこの生活が続くのか」という不安

A様は50歳代の女性で、今年89歳のお義母様と二人暮らし。
お義母様はデイサービスを利用しながらA様がご自宅でお世話をされていました。
以前は、ご主人様、娘様、お義母様の4人暮らしでしたが、娘様は他県へ嫁がれ、ご主人様はお亡くなりに。「嫁と姑」二人での生活の中、少しずつお義母様に認知症状が出てきていました。

時を同じくして、A様の娘様が妊娠され、娘様宅へお手伝いのために通うことが多くなりました。その間、家でお義母様が一人になることをとても心配され、ご相談におみえになりました。

A様が最初に口にされたのは、「将来への不安」でした。
「この先、もっと認知症が進んだら、いつまでこの生活は続くのでしょう」と。
入居のことには一切ふれられず、お義母様にホームに入っていただくのは申し訳ないという気持ちからか、どうしたらよいのかを迷っていらっしゃいました。

A様ご自身の生活も、人生もあります。この先もずっとA様が一人でお義母様をみていくことはA様にとって大変なことかもしれません。
私たちは、お義母様の暮らしをA様と一緒にお支えしたいと思い、ホームへのご入居をご提案しました。

当初A様は他県にお住まいのご次男様にお義母様をみていただこうかとも思いましたが、ご次男様は長い間、お義母様と生活を共にされていませんし、お義母様としても、長年住み慣れた土地から離れたくはないだろうと思い、最終的にご自宅に近いホームへ入居のご検討を始められました。

ご相談に来られたのは6月、夏に向かう時期だったため、お義母様が一人でご自宅にいらっしゃる時の熱中症が心配なこともあり、お義母様に「私が留守の間だけお泊りをして欲しい」とお話をされ、一週間の体験利用が始まりました。

「なぜ私はここにいるの?」

初日から、お義母様はホームの事務所に来られ、「なぜ私はここにいるの? あの人(A様)に電話させて。私は帰りますから」とそこから動こうとされませんでした。

私たちは、お孫様の出産まではA様がたびたび自宅を留守にされること、その間お義母様の熱中症が心配なことをご説明しました。その場ではわかっていただけても、すぐにお忘れになることの繰り返しでした。そこで私たちは、言葉で説明するだけではご納得いただけないので、何かお見せできる“もの”があればお忘れにならないのではないかと考え、出産を控えたお孫様のお手紙をご用意していただきました。

『今年の暑さはとても厳しくて、熱中症が心配なので、おばあちゃんには安全に過ごせる場所にいてもらえると私も安心です』

「そういうことね」。と一時的には理解をされるのですが、そのこと自体忘れてしまわれます。再びお手紙をご用意していただいては破り捨てられる、ということが、何度もありました。

初めて本音をぶつけ合った「家族会議」

「このままではいけないのではないか」とホーム長、ケアマネジャー、看護職員、サービスリーダー、私の5人は考えました。
「お孫様が出産されるまでの間、ホームを利用していただく」というのは、ご入居のきっかけです。このままでは、お義母様としては「夏が終われば、出産が終われば家へ帰れるはず、なぜ帰れないの?」と思い続けながらホームで暮らすことになります。まだ認知症がそれほど進んでいない今だからこそ、きちんとお話ししてわかっていただくことが必要なのではないか、と。

A様のご自宅で、A様、ご次男様、ホーム長と私とで、今後について話し合いをしました。
そこで決まったのは、ご契約の前にお義母様を交えて「家族会議」を開くこと。その会議でA様には、これまで言えなかった「私一人でお義母様のお世話を続けることはできない」という本音を、またご次男様には、「これまでお姉さんに任せきりだったけれど、今後はお母さんの人生に関わっていきたい」という率直なお気持ちを話していただくことになりました。

そして、体験利用の最終日。A様の「今後のことを相談しましょう」という一言で家族会議が始まりました。冒頭、「なぜこんな相談をしないといけないの? 私は家へ帰るのよ!」とお義母様。言い出しにくい雰囲気のなか、「お義母さん、ごめんなさい」と切り出されたのはA様でした。
「お義母さんのことが、とても心配。でも、ずっと私がついていることはできないの。だから申し訳ないけれど、ホームに居ていただけませんか」

お義母様からすれば、一人でも生活できるはずという思いや、お嫁様の負担になっていたのだということが入り混じり、人生を否定されたようなお気持ちになったのかもしれません。窓から見える線路を指して「いいわよ。私なんか、あそこから死んでやる!」と何度も叫ばれました。
そして、2時間に及んだ家族会議は、「わかったわよ! 好きにしてちょうだい!」というお義母様のお言葉で終了しました。

「きちんと伝える」ことを大切に

お義母様の記憶に「みんなで話し合いをした」ことはしっかり刻まれ、渋々ながら、ホームでの本格的な生活が始まりました。
やはり当初は「家へ帰る」とおっしゃっていました。今までは、「暑いうちは」「ご出産までは」という一時しのぎの言葉で説得してきましたが、「皆様とお話されましたね」とご説明することで、「そうだったわね」とご理解いただける瞬間が増えていきました。お義母様の表情もだんだんやわらかくなっていき、スタッフと心やすくお話ししていただける時間が増えていきました。

そして、ご入居から4ヶ月が経ったある日、お義母様は目に涙を浮かべA様とご次男様にこうおっしゃったのです。

「今までありがとうね。もうあの家は処分してもらっていいからね。あなたたちの好きなようにしてちょうだい」

ご家族様同士が本音をぶつけ合ったあの日、A様と次男様が口にされたのは「ごめんね」という謝罪の言葉でした。
ホームに入居していただくのが「お義母様のため」であることは真実です。でも、A様はもっとも言いにくかった「これからの自分ことを考えると、お義母様にはホームに入居していただきたい」というもうひとつの真実をしっかりと伝えられ、「ごめんなさい」とお詫びをされました。
お義母様は、「しょうがないわね」「私がここにいればいいんでしょう」とA様へ遠慮なくおっしゃっています。でも、そうすることによって、少しずつお気持ちの切り替えが進んでいったのではないかと思っています。

その方の人生と向き合っていくためには、言いにくいことでもきちんと伝えなければならないときがあります。たとえぶつかっても、本音で話すことが必要で、だからこそ前に進めたエピソードでした。
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