エピソード
46
身体拘束からの解放 ~人間らしい尊厳を最期まで~
2015年03月05日
末期癌で余命は短く、加えて認知症もお持ちのことから病院で拘束されて生活されていたA様。かつてのご様子から変わり果てた姿に、長年お付き合いのある成年後見人の方が「このまま最期を迎えさせたくない」と入居を希望されました。
私(お客様相談担当T)がご相談を受けた事例を紹介いたします。
変わり果てたA様の姿と後見人様の想い
私がA様と初めてお会いしたのは、数年前、認知症を発症されたA様の奥様をホームにご案内したことがきっかけでした。かつて国の大事業にも携わられたA様は、お歳を召してもなお若々しくいらっしゃり、穏やかな中にも力強さのこもった言葉で、奥様に対して安心で快適な生活を送ってほしいというお話をされていたことを覚えています。その後、奥様はベネッセのホームに入居され、時が経つにつれ、私がA様にお会いする機会もだんだんと減っていきました。
そして数年後、久しぶりにお会いしたA様は、病院のベッドに拘束され、薬の影響で意識が朦朧としており、かつての精気に満ち溢れた様子から変わり果てた姿でいらっしゃいました。
奥様がホームに入居されて以降、ご自宅で一人暮らしをしてきたA様は、少し前に癌が見つかり、手術を受けたものの完治せず、入院が必要になったそうです。また、同時に認知症の症状も出始め、安全のために拘束を余儀なくされているとのことでした。
A様の入居のご相談をいただいたのは、A様の後見人で保証人も務められる弁護士の方でした。A様と後見人様はかなり古いお付き合いらしく、かつてのA様のお姿を知っているからこそ、病院でベッドに繋がれ、伏せったままのA様を受け入れられずにいるとのことでした。
「A様は国のために尽くし、今のこの国の礎を築かれた方です。そんな人が、あのような状態で最期を迎えてよいのか。せめて、自由で尊厳のある環境で残りの人生を送らせてあげたいと思います」
そんな後見人様のお気持ちが、かつてのA様を知っている私にはとてもよくわかりました。そして、その気持ちに惹かれて、A様の最期の時間を作るためのお手伝いをさせていただくことにしたのです。
A様の幸せを深く考え抜いた後見人様の決断
「病院を退院して、老人ホームに入れたい」後見人様の希望に対して、病院からは「それはいくらなんでも無理です」との回答がありました。確かに、医学的な観点から見れば医療体制の整った病院にいる方が、万が一の場合も含めてA様に安全に暮らしていただくことができます。また、A様のように高齢で、かつ、持病をお持ちの方の場合、病院からホームへ移ること自体が非常に体力を使うことになり、結果として寿命を縮める事に繋がってしまうかもしれません。そういう意味で、病院の判断は極めて理にかなったものでした。
それでも、後見人様のお気持ちは強く、頑としてホーム入居の意志を変えませんでした。
A様と後見人様の間に、血の繋がりはありません。それでも身寄りのないA様にとって、後見人様はたった一人頼れる人間です。おそらくそのことを後見人様も強く意識されていたのではないかと思います。あるいは、過去に私の知り得ぬ深い結びつきがあったのかもしれません。
何にせよ、「A様にとって何が幸せなのか。A様にとってどのように最期を迎えることがふさわしいのか」それを徹底的に考え抜いたからこそ、後見人様は自分の主張を変えることはありませんでした。
そしてその固い決意は、やがて周りに伝染し、私を、そしてホームをも巻き込んでいくこととなりました。
「きっと死に場所を探していたんじゃないか」
実は、当初A様を受け入れることに関してホームのスタッフから不安の声が上がっていました。重い疾病をお持ちの方の受け入れることは、ホーム側も当然リスクを抱えることになります。また、ホームのスタッフにとっても、このような状態の方に移動していただくことが本当にその方にとって幸せなのか、判断できない部分があったのではないかと思います。それでも、後見人様から直接ご自身の想いやA様のこれまでの暮らしぶりや考え方をホーム長や看護職員に伝えていただく中で、だんだんとホームのスタッフたちの表情が変わっていくのがわかりました。
一人ひとりが「A様にとって何が幸せなのか」というテーマに真剣に向き合い、議論した結果、最終的にみんなが納得し、決意を固めてベネッセのホームにA様をお迎えすることとなったのです。
ご入居の日、ホームのベッドの上で拘束を外されたA様は、まるでご自身の人生を取り戻されたかのようにうれしそうな顔をされ、グルグルと手を動かされ拘束から解放されたことの喜びを表現されました。そのご様子に、私もホーム長もとても安心しましたし、そして何より入居を決めた後見人様が「この選択は間違いではなかった」という想いを強く感じられたのではないかと思います。
A様が亡くなられたのは、その日の晩のことでした。
最期は穏やかに、そしてご自身の人生に自由を取り戻せた喜びを抱いて天に召されていかれました。葬儀の後、参列者の中に私を見つけた後見人様はこんな言葉をかけてくださいました。
「おそらく、A様はずっとご自分の“死に場所”を探していたんだと思います。それは制限された病院のベッドの上でなく、自由で尊厳のある空間だったんじゃないかな」
A様が生前に残されてきた功績の大きさと比べれば、私たちができたことは本当に小さいことだったかもしれません。それでも、A様が最期の瞬間に本当に手に入れたかったものをお渡しできた。そのことが、何よりの誇りであり、喜びです。