エピソード
vol
60

入居拒否・帰宅願望のあったお父様が「ホームに居たい」とおっしゃるまで

2015年07月31日

ご入居にあたり、ご本人様の強い拒否が予想されてご家族様がご本人にホームの事をなかなか話し出せないケースは多々あります。とうとう入居当日まで、お話ができなかったケースもありました。

私(お客様相談担当M)がご相談を受けた事例を紹介いたします。

「ホームへ入居してほしい」と言い出せず

お母様が亡くなられて以降、90代のお父様は一人暮らしになりました。

極度の難聴のために要介護1の認定を受けていましたが、お話はできるので、相手の方が筆談をしてくだされば会話も問題がありません。また、お元気でご自分の事は大概することができ、お手伝いは昼間ヘルパーに掃除と食事づくりをお願いする程度で済んでいました。

しかし、お子様たちは「高齢者が夜一人になるのは心配だ」と、ローテーションを組んで毎晩誰かが泊まりこむ事にされました。

寂しがり屋のお父様は、長男様とお嫁様、次女様、末の妹様の4名が日替わりで来てくれるので、大喜びでローテーション表を眺めては夜を心待ちにされるようになりました。

ただ、お子様たちにもご自身の生活があります。週に何度もお父様の元に通う生活は決して楽なものではなく、特に遠方から通われていた長男様は「いつまでもこんな生活が続けられる訳ではない」と、次第に限界を感じられるようになったそうです。

悩んだ長男様は、苦渋の決断として妹様たちに老人ホームへの入居を提案されました。「ローテーション表を渡している来月まではなんとか皆でがんばって、再来月にはホームへ入居をしてもらったらどうだろう」

その提案に、初め妹様たちは猛反対をされ、特に末の妹様は「お父さんにホームに入ってなんて言えない。夫を置いてお父さんと一緒に暮らす!」と宣言をされたほど。

それでもやはり日々の生活の負担感は大きく、次第に「お父さんが安心して暮らせる信頼できるところなら…」と、ご家族様で近隣の老人ホームを見学されるようになったとのことでした。

そのような経緯でベネッセのホームにもお越しになり、ホームの雰囲気や対応にも満足をしていただけたようで、ご入居へと話を進めることになりました。ただ、ご家族様が共通で心底悩まれていたのが「入居の件を父に何と言って伝えればよいか」という問題です。

入居に際して、どうやってご本人様に納得していただくか、というのはこの方のケースに限らず頻繁にご相談いただく内容です。

お話をうかがう限り、お父様はしっかりとされた方で、息子様・娘様との信頼関係も厚いので、変に遠まわしに伝えて誤解されるよりは、息子様たちのお気持ちを正直に伝えられた方がよいと思われました。

そして、話をした時のお父様の反応やその後のお気持ち次第で、次にどうお話を進めていくかを考えましょうとご提案をいたしました。お父様にも“ホームで生活をすること”をまずは考えていただき、イメージを持っていただく時間が作れたらと考えたのです。

とはいえ、ご家族様にとっては入居を提案することは決して容易なものではなく、常に迷いや葛藤がつきまとうものです。ましてやお父様は、毎日子どもたちが来る事を心待ちにしていらっしゃいます。ご兄妹様はいざお父様を前にすると言葉を絞りだすことができず、何日も何日も、想いを伝えられないまま時間だけが過ぎていきました。

遂には、お父様に体験利用をされる予定の日がやってきても、まだお父様にはお伝えできていないという状況。当日の朝、息子様にご連絡を差し上げると「ホームには連れて行きます。そこで、私から父に入居の件を切り出すつもりです」と、力ないお返事が返ってきたのでした。

ご本人様の想いも、ご家族様の想いも受け止めて

お部屋にお通ししてお茶をお持ちすると、聞こえてきたのはお父様の泣き声です。

お父様は極度の難聴の為、ご家族様は気持ちを伝えるお手紙をご用意されていました。このままお父様のご自宅へ通う生活を続けることは難しいこと。お父様が安心して過ごせる場所を見つけたのでそこで過ごして欲しいこと。ご家族様は精一杯、今の気持ちを正直に綴られました。

しかし、お父様はすべてを読まぬうちに「これまで一生懸命育ててきたつもりなのに、この仕打ちはなんだ!」と叫ばれ、そのままずっと泣き続けられてしまったのです。

途中、ホームのスタッフや看護職員が何度か様子を見に行きましたが、ご家族様とお父様のお話は堂々巡りを繰り返しています。2時間ほど経った頃、ホーム長はこのままではお互いにつらい時間が長引くだけで結論が出ないことを悟り、スタッフにお父様を他のお部屋へお連れするように伝え、ご家族様とお話をする事にしました。

「入居をしてもらうしか道はない」「でも、どうしてもそれを無理強いすることはできない」

そんな想いを吐露されるご家族様に、ホーム長は「もし任せていただけるのであればしばらく、毎日のご様子は連絡いたしますので、ご家族様はそっとお帰りいただいて、お父様にはこのままお泊まりいただきませんか?」と言葉をかけました。

お父様からすれば、入居の話は寝耳に水であり、おそらくはご家族様に裏切られたような気持ちになられていたかと思います。一方で、ご家族様にもまだ迷う気持ちがおありのようでしたので、どちらにとっても「入居」を受け入れるには少し時間が必要だという判断からでした。

「おつらいとは思いますが、お父様のご様子によっては、会いに来ていただくのはしばらく避けていただいた方がよいかもしれません」

ご家族にはそうお伝えし、まずは我々がお父様にホームを「自分の場所」として思っていただくようにするところから始めることにしたのです。

笑顔の再会を果たして

「こんなひどい仕打ちがあるか、ひどいと思わないか?」

「今日は息子が迎えに来るんだよな? 明日は息子が迎えに来るのか?」

ホームにいらして間もなくの頃は、お父様はそんな言葉でご自身の悲しみや怒りを表現されてばかりいらっしゃいました。そんなお父様のお気持ちに、スタッフ一人ひとりが寄り添い、一緒に生活することを心がけました。

まずはご自宅で毎日されていた体操を再開していただき、朝食にはこれと決められていたジャムをホームでもご用意して召しあがっていただくなど、ご自宅での習慣やこだわりを日々の生活に取り入れていき、ホームを「自分の生活の場」として思っていただけるような環境作りを行いました。

そうしてお父様が普段の生活の落ち着きを取り戻されていった段階で、ご家族様にホームに来ていただき、状況を見ていただくことにしました。とはいえ、ご入居からまだ日が浅く、ご家族様の顔を見れば再び帰宅願望が湧いてくるかもしれませんので、お父様には伝えず、こっそりとです。

スポーツ観戦がお好きだったお父様は、TVで中継のある日は共用スペースのテレビの前に陣取って、ほかのご入居者様と夢中で番組をご覧になられます。ちょうどそのタイミングを見計らってご家族様をお呼びし、ご様子を見ていただくと、「父のこんなに落ち着いた姿を想像することはできなかったです」と皆様うれしそうに安堵の表情を浮かべられました。

その後、すっかりホームの生活に馴染まれ、いつの間にか「ひどい仕打ちだ」「いつ迎えにくる」といったお言葉はお父様の口にのぼらなくなり、代わりに「もうジャムが無くなるから持ってきて欲しいと家族に伝えてくれ」というお言葉が出るようになったのです。

ホーム長はこのタイミングで改めてご家族様をお呼びし、今度はお父様に会っていただくことをご提案しました。入居の日以来、お父様と直接顔を合わせていなかった息子様は「改めて父に“ここに居てほしい”と伝えた方がよいですよね?」と思いつめたご表情をされていましたが、「大丈夫です。ご様子を見ている限り『久しぶり』と普段通りに声をかけてください」と伝え、実際、入居の日の剣幕が嘘のように和やかな再会を果たされました。

その後、ご自身の生活も落ち着かれたご兄妹は、お父様が一番居たいという場所で暮らしてもらおうと、一度ご自宅までお父様をお連れになりましたが、お父様ご自身が「ホームに帰ろう」とおっしゃり、その後はご自宅に戻ることなく生活いただいています。

お父様は女性スタッフとお話することが大好きで、事務所に男性のホーム長だけがいるときは「今日は誰も居ないな」と渋々用件を伝えて帰られます。女性スタッフが居ると「お、居た居た」と来られます。ホームにはそんな風にからかったり、お話をすることを楽しめる相手がいて、自分の居場所があると思っていただけたのでしょう。

お誕生日前には「何も祝ったりしなくて良いぞ」と事務所に来られたかと思えば、「盛大に祝ってくれてもいいんだぞ」と再度言いに来られる、お茶目なお父様。誕生日の当日は親戚が集まり、皆様で外食をされ盛大にお祝いをされていました。ご入居を迷われていたご家族様、そしてお父様ご自身の両方に笑顔で過ごしていただけていることが、我々にとって何よりの喜びです。
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