エピソード
vol
68

「入居拒否」を乗り越えて~母を思う娘様の真摯な言葉に背中を押されて~

2016年12月01日

高齢のお母様の一人暮らしが心配で、ホームへのご入居を検討されたご家族様。 ご本人様は「一週間なら」と有料ショートステイをご利用になりましたが、 ご入居に対しては「家へ帰る」と断固、拒否され……。

私(お客様相談担当T)がご相談を受けた事例を紹介いたします。

「いいホームがあれば、母の背中を押したい」

当時90歳代のお母様は、「私は家で一人でも大丈夫!」と明言される、はっきりした気性の方。しかし、娘様のA様は、とても心配されていました。物忘れのあるお母様が、段差も多い古いご自宅で一人暮らしをされることに不安を感じていらっしゃったからです。

「もし、よい所があれば、母の背中を押したいのですが…」
A様から入居のご相談を受け、居室の選択肢が多いオープンして間もないホームをご提案しました。お手伝いの経験豊富なサービスリーダーもおり、安心してお任せいただけるホームです。
「ここだったらいいね」とお母様に思ってもらえるように、居室選びからA様と相談をしました。
一般的には、2階より上で南向きの部屋が人気です。しかしA様のお考えは違いました。
「母は、退屈すると『いやだ』『帰りたい』と言うかもしれない。窓から外の動きがわかるような部屋はないですか?」と、お母様のお好みを考慮してご希望をおっしゃいました。
ホームの隣に大規模な店舗があり、ちょうど、そこを訪れる買い物客の動きが見える部屋がありました。A様はその部屋を気に入られ、お試しに一週間の有料ショートステイからはじめることになりました。

A様は、お母様が過ごしやすいように、慣れ親しんだ品物を持ち込むことを考えられる一方で、あまり持ち込みすぎると、すっかりできあがった部屋に「ずっとここに住ませるつもりなのか、とかえって気を悪くするかもしれない」と細やかな心配りをされていました。お部屋をどの程度まで作るかについては、スタッフも一緒になって考え、作りすぎず、殺風景でもない、落ち着いた空間が生まれました。

拒否の言葉が強くなる中、ホームを信頼してくださった娘様

一週間の有料ショートステイの間、お母様は「いやだ」とはおっしゃいませんでしたが、それには理由がありました。
「一週間で帰る、と言われているから、来ているの」とお母様。
「お母さんが気に入れば、ずっとここに居てもいいのよ」とA様。
「え?帰るんでしょ?」
お母様にとっては一週間、旅行をするくらいのイメージで、ここにずっと居ることになるとはつゆほども思ってらっしゃいませんでした。
それでもA様は「もう少し過ごしてみないとわからないから」と、滞在を二週間延長され、引き続きご様子を見ることになりました。

一週間を過ぎても帰宅できないことがわかり、お母様の言葉は「なぜ帰れないの?」という疑問の形から、ついに「もうここにはいたくない」というはっきりとした拒否に変わっていきました。スタッフはA様とご相談し、「いかがですか? お気に召したのなら、ずっと居ていただいていいんですよ」とお声を掛けていましたが、お母様はもう聞く耳をお持ちになっていませんでした。

せっかくホームに来ていただいたのだから、少しでも楽しい時間を過ごしていただきたい。とスタッフで考えました。
お母様は昔、お茶の先生をされていましたが、ご自宅では久しくお茶を点てていないとのことでした。私たちは抹茶と簡易な道具を用意し、お母様にお茶を点てていただくことをお願いしました。すると、喜んでお引き受けくださり、ほかのご入居者様たちもお誘いして小さなお茶会が始まり、お茶の話に花が咲き、和やかなひとときを過ごしていただくことができました。

しかし、お母様の「家へ帰りたい」というお気持ちが消えたわけではありませんでした。

「家へ帰りたい」の奥にある本当の気持ち

ホームに滞在されて二週間以上経った頃、最終的に入居を決定するべく、A様はあらたまってお母様とお話をされました。
「お母さんは、なぜ家へ帰りたいの?」
「なぜって、だってあそこは私の家だから…」
お母様のお答えはあまり明瞭ではありませんでした。
「お母さんが帰りたい『家』というのは、小さかった私たちをお母さんが育ててくれた、お父さんがまだ元気で仕事をしていてお母さんは家事を一生懸命やってくれた、家族みんながいたときの『家』だと思うの。でもね、もうお父さんはいないし、私たちも別々に暮らしている。今、お母さんは一人でしょう? 家自体も古くてあちこち修繕が必要。だけど、お母さんも年をとって、なんでも自分でできる、というわけでもないでしょう? ずっとあの家にお母さんがいることは、私たちはとても心配なの」
A様は、本気でお母様のこれからを考えられ、伝えるべきことを真摯にお話されました。
「お母さんの気持ちは、よくわかる。でも、残念だけど、あの時代には戻れないのよ。だから、自宅の生活に一番近いと思えるところを一生懸命探して、ここに来ているのよ」

お母様はすべてに納得されたわけではありませんでした。けれど「そこまで娘が言うのなら」と、A様のお気持ちを受け取られ、ご入居が始まりました。

ご入居後もA様はよく来訪されました。お母様のご様子で気づいたことがあれば「こういうことができたらいいですね」とご提案をいただき、その都度スタッフはA様と一緒にお母様の生活をよりよくする方法を考えました。お母様は徐々にホームでの暮らしに慣れたご様子で、「帰りたい」とおっしゃることもなくなってきました。

お母様が「帰りたい」とおっしゃっていたご自宅というのは、ご家族様みんなが暮らしていた「思い出の中の家」でした。今では、そこに住む人も、家そのものも、変わってしまっています。その家に一人で住むことが、お母様にとって幸せでしょうか? 私はA様のお言葉を聞き、これまでになかった視点を得た気がしました。
「家に帰りたい」とおっしゃるご入居者様が求めている「家」とはなんなのか。その方は、本当に「今のご自宅」に一人で戻りたいと思ってらっしゃるのか。
「帰りたい」の言葉の奥にあるお気持ちを汲み取り、ホームがその方の本当に求めている「家」になれるよう努めていきたいと、心新たにしたエピソードでした。
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