エピソード
vol
58

振り込め詐欺をきっかけに気づかされた、母の孤独と本当の気持ち

2015年07月17日

「これ以上、自宅で一人で生活させられない」「でも、新しい環境に母は馴染めるのだろうか…?」そんな相反する気持ちを持たれながら入居検討をされていたA様。それでも、ご入居後どんどんと表情が緩んでいくお母様の姿を見るうちに…。

私(お客様相談担当H)がご相談を受けた事例を紹介いたします。

ある日、電話口の母の異変に気づいて

A様のお母様は、お父様が亡くなってから約10年、近所に住むご姉妹と助け合いながら、元気に一人暮らしをされていました。

ところが、ある日A様が久しぶりにお母様に連絡をしたところ、電話口からどうにも元気がない様子のお声が返ってきました。

「実はね…この間、振り込め詐欺にあっちゃって…」

そんな突然の告白に驚いたA様が急いでご実家に帰られると、そこにはショックで憔悴しきったお母様の姿がありました。

お母様はこの数年で少しずつ物忘れが増えてきており、A様は内心で「いずれは一人暮らしが難しくなるんじゃないか」と心配されていたそうです。それが、この件をきっかけに「いよいよ一人にはしておけない」と思われるようになったとの事でした。

また、物忘れ以外にも心配ごとはありました。だんだんと身体も不自由になっていく中で、お母様は「食事の支度が面倒になってきた」とおっしゃるようになったそうで、そのために食が細くなっているようでした。

食事が細くなればその分だけ体力も低下し、病気やけがのリスクも高まります。ご自身でできないのであればヘルパーを入れるという選択肢もありますが、まだまだ一人で生活ができると思われているお母様は「家に人を入れたくない」「ほかの事はできる」と、それを拒否をされていらっしゃいました。

A様のご自宅はお母様の家から車で1時間程の距離ですが、職場が遠い為にご自宅に帰れるのは週末のみ。奥様もお仕事をされているので頻繁にお母様の元に通うことはできません。近所にご親戚もいらっしゃいましたが、そちらも高齢で頼ることに限界があります。

お母様の生活になんとか人の目が届くようにしたいと考えられたA様は、配達の人が来てくれる事は安否確認にもなると、まずは『宅食サービス』を頼む事にされました。

息子の心配をよそに、ホームにすぐに馴染んだお母様

それでも、A様の心配が消えることはありません。このまま自宅に一人にしたままでよいのだろうか。そんな思いから、A様は同時に老人ホームの入居も検討されるようになりました。

とはいえ、お母様はご自宅に強い愛着をお持ちの方でしたので、「老人ホームに入ろう」と提案をしても、すぐにご納得いただけるとは限りません。A様はそのことを大変気にされていらっしゃいました。

お母様にも納得していただける場所を見つけようと、A様は少しでも気に入って貰える場所はないかと、まずはご自身でさまざまな施設に見学に行かれ、お母様にお友達が出来そうなホームを必死に探されていらっしゃいました。

さまざまなホームを見学された後、「母にはここがよいのではないか」と思っていただいたのが、私が担当するベネッセのホームでした。

ちょうど初夏の頃で、だんだんと暑くなる時期だったことから、A様は「食事がとれなくなってきているし、これから暑くなるから少し静養出来る場所で過ごさない?」とお母様を誘われて、見学にお連れになられました。

A様は事前に「家に愛着のある人なので、知らない場所に馴染めるか…」と不安を口にされていましたが、いざいらっしゃったお母様は大変いきいきされた表情をされ、

「あら、もっと元気じゃない人ばかりがいるのかと思ったわ!」

とうれしそうに感想を口にされました。静養する場所と聞いて病院を想像されていたようで、お母様は何度もそう繰り返されながら、楽しそうにホームのスタッフや私とお話をされ、とても満足した時間を過ごされたようでした。

その後も、A様の心配をよそにお母様はホームを大変気にいっていただき、とんとん拍子でご入居に至ることとなりました。

「やはり馴染めるかどうか…」と心配されるA様をよそに、お話好きなお母様は、あっという間にホームでお友達を作られました。

さらに、物忘れはあってもお声かけをすれば何でもできるお母様は「何かの役に立ちたい」「仕事をしたい」とスタッフが洗濯物をたたんでいると手伝ってくださるなど、すぐにホームの生活に馴染んでいかれました。

「生きがい」がお母様を笑顔に

そんなある日、A様と歯科へ通院に行かれたはずのお母様が、泣きながらホームへ帰って来られました。何事かと驚いてお出迎えしたところ、A様は苦笑いをされています。

「ここには入りたくない。ずっと今の所が良い」歯科医院の前まで辿り着かれたお母様は、突然に泣きだされたのだそうです。

歯科医院を別のホームだと思われ、無理やり引っ越しをさせられると勘違いされたようで、A様がどんなに「歯医者さんだよ。治療をしてもらうだけだよ」と説明をしてもご納得されず、途方に暮れてホームへ戻って来られたとのことでした。

「参りましたよ。しかし、それだけここが気に入っているという事がわかってとてもうれしいです。家に愛着が強かった母が馴染めるものかとても心配しましたが、こんなふうに言うなんて、皆さんのお蔭です」

A様はそんな感謝の言葉を口にされました。

ご入居前まではお母様の物忘れが進むことに複雑な思いを抱きながら、長男としての責務を果たすためにと思いつめたご表情で孤軍奮闘されていたA様。

お母様がホームに慣れ、いきいきと生活される様子を目の当たりにするにつれ、A様が私たちに見せてくださる表情もずいぶんと柔らかくなられていましたが、この一件を境に心から安心された顔を私たちに向けていただけるようになりました。

「母は家に愛着もあったけれど、本当は寂しかったのかもしれませんね。楽しそうな姿を見て、話し相手と役割のある生活が必要だったのだと感じました」

私は、A様のその一言に「満たされて初めて気づく事ができるお気持ちや、ご要望がある」と改めて気付かせていただきました。そして言葉にはでてこないそのお気持ちを少しでもくませていただき、ホームでの生活のお手伝いに繋げたいと感じた印象的なエピソードです。
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