大動脈解離の術後、車椅子生活になった父。ホームのリハビリと介護で歩けるようになり食欲も旺盛になりました。
85歳まで現役で仕事をしていたお父様が大動脈解離で緊急手術。3ヶ月間リハビリ入院をしましたが、車椅子生活で口から食事もとれなくなってしまいました一人暮らしの自宅に帰ることができないため、M様と弟様は老人ホームを探し始めました。
父はながらく入退院を繰り返していた母の世話をしながら、法律関係の仕事を続けていました。1年前に母が亡くなったあとも一人暮らしをしながら仕事を続け、好きなものを食べ、楽しくお酒を飲み、マイペースで暮らしていました。85歳になっても現役でうらやましいほどぴんぴんしていました。私の自宅は少し離れているのですが、独身の弟が父と同じマンションに住んでいるので、たまには一緒に外食を楽しんでいたようです。
今年の2月、父は弟と外食中に突然倒れてしまい、救急車で病院に運ばれました。脳梗塞を疑って検査をした結果、小さな梗塞があり1泊入院をすることになったのですが、その夜、胸部の大動脈解離を起こし、緊急手術をしました。その後2ヶ月間入院して、リハビリ病院に転院しました。父にはリハビリがきつかったようで「早くここを出たい」と私たちに訴えていました。3ヶ月間入院してリハビリを続けましたが、車椅子の生活になった上に口から食事ができなくなりました。とても自宅に戻れる状態ではないので、私と弟は老人ホームを探すことにしたのです。
「元の父に戻れるリハビリ」を条件にホーム選びをされたM様ご兄弟。お父様も見学されて入居を決められたのは、「ボンセジュール荏田」でした。週1回のリハビリと毎日の生活リハビリでお元気になり普通に会話ができるようになりました。
私たち兄弟の老人ホーム選びの条件は、リハビリにつながることで一致していました。とにかく元気だった父に戻って欲しかったのです。私たちはリハビリ病院から紹介されたホームを3軒、見学しました。1軒目は大きな街道沿いにあって、駅では長い横断歩道を渡らなければならず、父が歩けるようになってもこの距離は無理だと考えました。2軒目は、自然環境のよい場所に立地していたのですが、ホームの中があまりにも静か過ぎて人が暮らしている雰囲気が感じられずやめました。3軒目が入居を決めた「ボンセジュール荏田」です。他のホームに比べて、生活感にあふれた明るい雰囲気でとても気に入りました。父にも一応3軒見学してもらい、結局私たちと同じ判断でこちらのホームになりました。
入居して意外に早くから、父はホーム生活に慣れてくれました。多分、病院と違って個室があり、気ままに過ごせることがよかったのでしょう。週1回のリハビリと毎日の生活リハビリをしてもらっていても、病院と違って父はリハビリと思わずに取り組めたようです。入居当初は、今日は何日で今は何時ということがわからず、このまま認知症になるのかと私たちは少々不安でしたが、しばらくすると自分が置かれている状態を理解し会話も普通にできるようになり、急速に回復が進みました。
蕎麦うちイベントで9ヶ月ぶりに食べた麺類がきっかけで、普通食になったお父様。目下のご希望は体力をつけてご自宅とホームを行き来して仕事を再開することだそうです。「ここまで回復したのはホームのリハビリと介護のおかげ」とM様は笑顔でお話くださいました。
父は車椅子で入居したのに、3ヶ月ほどで歩けるようになって驚きました。ホームの外で長く歩くのはまだ体力的に無理ですが、館内や庭を自由に歩くことはリハビリと同時によい気分転換になっているようです。午前中は自分の部屋からリビングに来て新聞5紙を読むのが日課。頭の中の訓練にもなっていそうです。
また、当初は口から食事がとれなかったのに、スタッフの方たちのおかげで刻み食を食べられるようになり、少し前に「もうそろそろ普通食が食べられそうです」と言われていました。つい最近私も一緒に参加したホームの蕎麦うちイベントで、父が「そばを食べたい」と言ったので、これはチャンスと考え蕎麦を渡すと一人前をペロリと食べました。思えば倒れてから9ヶ月ぶりの麺類、父は「おいしい、おいしい」と喜んでいました。現場にいなかった弟は、先日父の好きなウナギ屋の弁当を持ってきたところ、すごい勢いで食べつくしたと目を丸くしていました。お酒も好きなので、スタッフの方たちと相談して、そろそろ晩酌も始めようかと考えています。
父の回復が順調なのは、ホームのリハビリや介護がよいからだと思います。本当に入居してよかったです。父はもう少し身体の自由がきくようになったら、自宅とホームを行き来して仕事を再開したいと言っています。そのためにも好きなものを食べてもらって体力づくりをしてほしいと思っています。
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