体験談
vol
45

99歳で命にかかわる状態になった母。スタッフの献身的な介護のおかげで元気に100歳を迎えられました。

2018年06月14日
  • ご入居時期
    2015年3月
  • ご入居者様
    100歳 女性
お話を
伺った方
O様63歳(ご長女)
ホーム名
リハビリホームグランダ神楽坂

お父様を看取ったお母様は85歳でご長女の家に引っ越して二人暮らしをスタート。医師として働く娘の食事づくりなどを生きがいに家事をされていましたが、90歳を過ぎてから転倒を繰り返すようになりました。

在宅介護をしていた父が93歳で亡くなったとき、母は84歳でした。元医師の母は父の導尿まで自分で行い、最期まで世話をやりきった思いだったそうです。一人暮らしになった母に私は同居を提案しましたが、ずっと戸建ての家に住んでいたのでマンション暮らしに慣れてくれるか心配でした。何度かお試しで同居をした結果、85歳で本格的に新しい街で暮らし始めました。環境がガラリと変わったのですが、母は心身ともに元気だったのですぐに順応でき、シルバーカーを押して買い物に行き、食事づくりなど私の世話を生きがいにしていました。数10年ぶりの同居生活は昔話に花が咲いたり、ときにはささいな親子喧嘩をしたり、母も私も楽しんでいましたが、90歳を過ぎた頃から母は転倒を繰り返すようになりました。
最初の頃は、買い物していた店先で転倒しておでこに血腫ができたり、お風呂で転倒して背骨を圧迫骨折したりしても、短期間で元の生活に戻れました。
ところが96歳の梅雨の頃の早朝、母はトイレに起きてシルバーカーごと廊下で転倒。私はドーンという音が聞こえてきた途端、母が骨折したことが分かりました。私はすぐに勤務先である病院に電話して治療と入院を依頼。それから救急車を呼びました。整形外科で大腿骨転子部骨折と診断されて手術が行われ、リハビリのため4ヶ月間入院しました。

車椅子生活になったお母様は退院と同時に「グランダ目白」にご入居し、4ヶ月後、ご長女宅近くの「グランダ神楽坂」に転居されました。

退院後母は車椅子生活になるため、私は老人ホームへの入居を決めました。実は、母が転倒を繰り返すようになった頃から、老人ホーム探しをしていました。当時母は、「働く娘のごはんを作るのが私の仕事」と老人ホームへの入居を拒否していたので、内緒で何軒か見学に行きました。
老人ホーム選びの第一条件は、私が働きながらでも頻繁に母の顔を見に行けることでした。職場は自宅に近いので、近所のホームであれば仕事帰りに訪問できると考えましたが、なかには面会時間が限られているホームがありました。ちょうどその頃自宅近くに「グランダ神楽坂」ができ、見学に行くと雰囲気が明るくスタッフの方の対応もよく、何より面会時間は自由とのことでとても気に入りました。
母が入院してから改めて「グランダ神楽坂」に問い合わせたのですが、あいにく満室だったので、空室待ちのため同じ系列の「グランダ目白・新宿」に入居。スタッフの方たちからとてもよくしていただいたので、母はホーム生活を続けることに前向きになってくれました。4ヶ月後、空室が出た「グランダ神楽坂」に転居してからもお仲間と体操をしたり、クイズや漢字の書き取りをしたり。私は仕事の帰りにホームを訪れ、元気な母の顔を見ることができて、やはり自宅のそばのホームにしてよかったと思いました。

ご長女とホームが「看取り確認書」を取り交わすほど状態が悪くなったお母様でしたが、1ヶ月間のスタッフとご長女の食事介助で完全に回復。100歳をお祝いする会ではご長女がお母様の人生のエピソードを披露されました。

99歳の2月に母は風邪をひき、あっという間に認知の度合いや体力、食べる量が低下。私は医師としていつ亡くなってもしかたのない状態だと確認し、ホームと看取り確認書を取り交わしました。母と私はかねてから「点滴や胃ろうをしてまで終末に抗いたくない」と話し合っていましたので、自然回復力に期待して口からの食事の介助をホームにお願いしました。私もできるだけホームを訪ね、母を励ましながらひと口ひと口食べさせました。スタッフの方たちは、根気よく食べさせてくださり「今日も完食しましたよ」と自分の親のことのように嬉しそうに報告してくれました。こうした献身的なお世話のおかげで、母はなんと1ヶ月後には完全に回復できました。
現在はほとんどベッドでの生活ですが、食事も完食しますし笑顔が増えました。今年5月で100歳を迎え、ホームでは盛大にお祝いの会を開いてくださり、私も参加して、母のこれまでの人生のエピソードを皆様にお話できました。母は父の看取りを在宅ででき、私との暮らしも楽しんで、幸せな人生だと思います。もちろん私も100歳まで生きてこられた母のそばにいられて、本当に幸せです。

100歳のお祝いの会の記念写真には、ご長女やたくさんのお仲間、スタッフたちに囲まれたお母様の笑顔がありました。ピンクのブラウスを着て、グレーの帽子をかぶったお元気な姿は2ヶ月前に命の危険があったとは思えないほどです。

ホーム最高齢のお母様は、お仲間たちの「希望の星」だそうです。

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