地元を離れた母が福島弁でのびのびとした笑顔を取り戻しました
「母は福島の原発事故の影響で、3年間、夫婦二人で仮設住宅を転転とする生活を送っていました。それが、2年前に父が急に亡くなったとき、自分で先々のことを考えたうえで、私のそばに来たいからホームを探してほしいと言ってきたのです」
「母は福島の原発事故の影響で、3年間、夫婦二人で仮設住宅を転転とする生活を送っていました。それが、2年前に父が急に亡くなったとき、自分で先々のことを考えたうえで、私のそばに来たいからホームを探してほしいと言ってきたのです」
そう話されるのはご長女のHさん。住んでいた町は1年前に避難指示が解除されており、地元には親戚もいるので、お母様は自宅に帰るのではないかと思っていたそうです。
「母はずっと農業をやってきましたから、都会での生活を選ぶのはよほどのことだったと思います。仮設住宅ではかなりストレスがあったようで、夜眠るときはそれまで飲んだことのない睡眠薬を必要とするほどだったそうです。そんな状況の中で夫婦でお互いを支え合って暮らしていました。だから、一人になってとても不安だったのでしょうね」
全く違う環境での暮らしになることを心配していたHさんですが、入居してからのお母様には驚くほどの大きな変化がありました。
「母は福島弁で話しますし、人との会話にも消極的なほうでしたから、ホームに馴染めるかとても心配でした。父がクルミより堅い性格と言われていたような人だったせいか、母は自分の気持ちや喜怒哀楽をあまり出さないで暮らしてきたような気がします。
ところがここでは、隣の部屋の方と気さくに話が出来たことやスタッフの方々のおかげで次第に馴染んでいき、気がついたら福島弁で素直な気持ちを表すようになっていたのです。よく笑うようにもなり、『オラ幸せだ、ここは最高だ』などと言ったりして、その変わりようには驚きました。
母が変わったのは、なによりもこのホームの“居心地の良さ”のおかげでしょう。とにかく、いつもにこやかなスタッフの方たちの対応はありがたいですね。さりげなく声をかけてくださったり、よくほめてくださったり、母の気持ちをうまく引き出していただきました。それに、申し送りがしっかりしていて、どのスタッフの方も同じように対応してくださるので、きちんとした信頼関係が築けたのだと思います」
取材中も、同じ福島出身のホーム長と福島弁でのかけ合いが続き、部屋には笑い声が響きます。
そんなくったくのないお母様の姿に、Hさんも顔をほころばせておられました。
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