体験談
vol
54

変形性膝関節症の激痛で一人暮らしが困難になった母。ホームに入居して要介護1から要支援1になりました。

2018年08月20日
  • ご入居時期
    2013年2月
  • ご入居者様
    92歳 女性
お話を
伺った方
S様 59歳(ご長女)、S様 61歳(ご長女の夫)
ホーム名
リハビリホームくらら上井草

元気に一人暮らしを続けていたお母様が、5年前に変形性膝関節症の激痛に悩まされました。S様は実家に泊り込んでお世話をしていましたが、お母様は「老人ホームに入るわ」と希望されました。

20年前に父を亡くしてから、母は一人暮らしをしていました。私たち夫婦は転勤族なのでなかなか会いに行けず、寂しい思いをしていないか心配していましたが、体操教室に通ったり、お友達と外出したりして楽しそうに過ごしていました。母は50代のときに10年以上も、私の祖母である姑の介護をしていました。壮絶な体験だったようで、「認知症になりたくない」と脳トレも熱心にしていました。
私たちは6年前にやっと東京に戻れ、これで親孝行ができるとほっとしたのですが、母の体調が徐々に悪くなっていきました。特に、変形性膝関節症の痛みが強く、歩行だけでなく日常動作すべてが鈍くなりました。私は東京から千葉の実家に通い続けましたが、明るい性格だった母が精神的に落ち込み、目が離せなくなりました。
夫のすすめもあって私だけ実家で暮らし始めたのですが、母は「私は老人ホームに入るわ」と言い出しました。たぶん、姑の介護体験から私たち夫婦に迷惑をかけたくない思いだったのでしょう。私は母にホーム入居を本当に望んでいるのか聞いたところ、私たちに迷惑をかけたくないだけでなく、同年代のお友達と日頃から「元気なうちに老人ホームに入ったほうがいいみたい」と話し合っていたそうです。

お母様は、S様ご夫婦の自宅から自転車で10分の距離にある「くらら上井草」にご入居。当初は緊張されていたお母様でしたが、S様の連日の訪問やスタッフと顔なじみになるうちに、食欲が回復して体調がよくなりました。

母からホーム探しを任せられた私たち夫婦は、住んでいる環境を変えないほうがよいと考えて、実家近辺で探し始めました。夫がインターネットやパンフレットなどで情報を集め、4~5ヶ所見学にいきました。雰囲気のよいホームもあったのですが、最終的に私たちが頻繁に訪問できるよう、自宅に近いほうがよいのではないかと話し合いました。母に聞くと、「あなたたちが決めてくれるなら、どの地域でもいいよ」と応えてくれました。
そこで自宅近くでも5~6ヶ所見学しました。そのうち2ヶ所がベネッセのホームだったのですが、いずれもスタッフ全員の対応が気持ちよかったので、自宅から自転車で10分の距離にある「くらら上井草」に決めました。あいにく希望する南側の部屋があいてなかったのですが、ホーム長さんが「空き室が出たらすぐに引っ越しできます」と言ってくれ、柔軟な対応にも安心しました。
結局南側の部屋に入居できましたが、母は新しい環境に緊張し当初は「落ち着かない、夜が長い」と言っていました。私はほぼ毎日ホームを訪れて、散歩に連れ出して気分転換したり、整形外科に通院がてらランチを一緒にしたり。ホームでは、親しく話しかけてくれるスタッフの方たちと顔なじみになり、体操も欠かさず参加しはじめてから、入居前は低下していた食欲も回復して体調もよくなっていきました。

アクティビティに意欲的に参加され、お仲間やスタッフとのおしゃべりを楽しむようになられたお母様は、S様ご夫婦ともひんぱんに外食や温泉に出かけ、ホーム生活を満喫していらっしゃいました。昨年2回続けて圧迫骨折を起こし、現在は体操を続けていらっしゃいます。

入居3ヶ月後にはホームの生活にすっかり慣れて、母は元々の意欲的な性格を取り戻しました。アクティビティも得意なお花やお習字のほか、トールペインティングに初挑戦して、作品を部屋に飾って楽しんでいました。部屋では新聞の「天声人語」の書き写しをしたり、本を読んだり脳トレにも余念がありませんでした。スタッフの方やお仲間とのおしゃべりも刺激になったのでしょう、入居当時は要介護1だった介護認定が要支援1になって、夫と2人でびっくりしました。外出も大好きで私たちとひんぱんに外食したり、半年に1度は温泉旅行を楽しんでいました。
ところが、昨年3月と11月に居室で転んで圧迫骨折を起こしてしまい、腰と足の痛みがなかなかとれなくなりました。それでも「足は動かさないといけない」と座ってできる体操をがんばって続けています。私は毎日ホームを訪問し、週1回の整形外科通いも欠かさず続け、少しでも痛みが軽減するように協力しています。

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