体験談
vol
36

愛する父を亡くし認知症になった母。ホームでお仲間に囲まれてアクティビティを楽しみ輝くような笑顔を見せてくれます。

2017年08月03日
  • ご入居時期
    2017年1月
  • ご入居者様
    75歳 女性
お話を
伺った方
Y様 46歳(ご長女)
ホーム名
グランダ甲子園

老後は海沿いの家に夫婦で住むという、お父様の夢を実現したご両親。お母様が72歳のときにお父様が癌を発症し、病気の進行でご両親はご長女様の自宅近所にお引越しされました。

転勤族だった父の夢は、老後を両親の出身地である海沿いの町で暮らすことでした。60代のころに土地を確保し、休みのたびに少しずつ自分たちの手で家を建て、退職後に移り住みました。母は車を運転できないこともあり、どこに行くのも父と一緒。夫唱婦随で仲良く平穏な暮らしでした。
平成26年に父は大腸癌がみつかり、そのときすでにステージⅣ。食べることが大好きで年1回の健康診断でも異常がない健康体だったので、母も私も大きな衝撃を受けました。癌摘出手術後は通院治療を続けながら、父は普段通りに生活していました。一方、母は祖母と私の妹をたて続けに亡くして心を痛めていたところに、父の発病が重なり食欲が落ちてうつ状態になり、病人の父が母を心配するほどでした。
平成27年の年末、父から「病状が悪化し体力の限界が近づいたので、お前の家の近所に引越したい」と連絡がありました。私は翌年2月に自宅の目の前にあるアパートを契約し、両親を迎えに行って無事引越しできました。

引越し1ヶ月後にお父様が亡くなり、お母様の様子が変化しました。脳血管性認知症と診断され、ご長女様はパートを一旦辞め1日中誠心誠意介護をしていました。

最後の力を振り絞って引越してきた父は、1ヶ月後の3月初めに亡くなりました。内向的な母はショックを表に出しませんでしたが家に引きこもり、外出するのは私が買い物に誘ったときだけ。アパートにいてもうつらうつらと昼寝ばかりの日々なので、ケアマネジャーさんに相談したところ、デイサービスをすすめられました。しかし、慣れない土地ということもあり、母は首を縦にふりませんでした。母の様子がおかしくなったのは7月、急に「隣の人が家に入ってきそうで怖い」とありえないことを言い始めたので、病院を受診。かなり進んだ脳血管性認知症と診断され、進行をゆるやかにする薬を処方されました。
私は母に寄り添うために週3回のパートを一旦辞め、日中はわが家で一緒に過ごし、食事をしたり買い物に出かけたりしました。父の発病以来険しく寂しそうだった表情も和らいできて、普通に会話もでき食欲も回復。そんなとき、夫から「家のすぐそばにあるグランダ甲子園の部屋が空いているよ」と思わぬ言葉をかけられました。多分、何事も根を詰めてやりすぎる私の性格を慮り、このままでは母娘ともに共倒れすると考えたのだと思います。

ご主人の提案でご自宅近くの「グランダ甲子園」にご入居。お仲間の輪が広がり、アクティビティを楽しみ、明るい表情を取り戻したお母様にご長女様は心から安心されています。

夫はインターネットで自宅近辺の老人ホームを検索していたそうです。夫婦で2ヶ所ホームを見学し、自宅から徒歩圏内にありアットホームな雰囲気の『グランダ甲子園』に決めました。母は内心アパートに残りたかったようですが、年末年始に体験利用をしてもらって1月に入居。当初は緊張のためか顔がこわばっていたので心配しましたが、徐々に慣れて表情が明るくなっていきました。
ホームでは朝昼晩の食事とおやつ、その合間に体操やフラワーアレンジメント、音楽などのアクティビティが用意されています。母はそのたびに部屋から出るので生活リズムが整い、昼寝もしなくなったので夜は熟睡できるようになりました。入居2ヶ月後あたりから、「テーブルで隣に座る人はこんな人なのよ」と顔見知りになったお仲間の話をしてくれるまでになって驚きました。私一人の介護ではホームのように行き届いたケアができず、母をここまで変化させることは無理だったと思います。
私はパートを再開し、ホームへは頻繁にいけないことを心苦しく思うこともありましたがスタッフの方たちから「大丈夫ですよ」と優しく声をかけられ、安心して自分の体を休ませることができるようになりました。毎月ホームから送られてくる母の写真は、常にお仲間と一緒でここ数年見たこともない輝くほどの笑顔ばかり。ホームに入居して本当によかったと思います。

取材中にスタッフから、お母様がハンドベルでの演奏に誰よりも早く手を上げられ楽しそうに参加されたと聞き、「母にそんな一面があったのですね!」

とうれしそうなご長女様でした。

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