認知症への不安を乗り越え、お気に入りの水辺の風景を眺め穏やかに暮らしています。
22年前にご主人を亡くされたお母様。当時74歳でしたが、誰の手を借りることなく、大好きな歴史の勉強会に参加するなど、充実した一人暮らしの日々を送っていました。
母が80歳から87歳まで、私は夫と海外で暮らしていましたので、一人暮らしの母に毎日電話をかけておしゃべりしていました。母はとても元気でいきいきとした様子でしたが、年齢を重ねるうちに「ずっと一人暮らしは難しいわね」と将来のことを考え始めるようになりました。話をしているうちに老人ホームの話題が多くなり、私が一時帰国するたびに、一緒にあちらこちらのホームを見学していましたが、まだ先のことと考えていました。
その後も私に「海外での生活を楽しんで」と応援してくれていた母でしたが、87歳を迎える頃から「そろそろ日本に帰ってこない?」と心細そうに言い始めたのです。どうやら生活する中で自分の行動がおかしいと感じたり、物忘れが多くなったりして不安になったようです。自分で近所の病院を受診して、認知症の進行を抑える薬を処方してもらい、飲み始めていました。
H様がご主人と帰国したのは、お母様が88歳の時。本格的にホーム入居を考え、今まで以上にいろいろなホームをお母様と二人で見学していたその頃から、お母様の認知症の症状が進んでしまわれたそうです。
母の自宅マンションは扉を暗証番号で解錠して出入りするシステムだったのですが、番号を忘れて家に入れずご近所の方にお世話になったり、非常ベルを鳴らしてご迷惑をかけてしまうことが続きました。ヘルパーさんをお願いしていたのですが、母が約束の時間を忘れて出かけ、家に入ってもらえないという失敗が重なり、結局お断りしました。
このままでは一人暮らしを続けるのは無理だと思い、見学した中で母の一番のお気に入りだった『くらら田園調布』に入居を決めました。
もともと海の近くに住んでいた母は水辺が好きで、川の流れる風景が見えるこちらのホームが気に入ったのです。加えて毎週通っていた教会が近くにあって、なじみのある地域ですし、私の家が車で約10分の距離ということも母には安心だったようです。
ところが、「入居を申し込むね」と伝えると、「どうして私がホームに入らなければいけないの」と言い始めたのです。私はマンションに一人で暮らすのがどれだけ難しいか、時間をかけて説得し、母はしぶしぶ入居しました。
入居してからは、スタッフの方たちに囲まれて食事の準備や後片付け、洗濯物をたたむなどのお手伝いをさせていただき、お友達もできてホームの暮らしに慣れてきました。隣室に入居された太極拳の先生をされていた方に毎朝声をかけていただき、一緒に中庭で身体を動かすようにもなりました。
しかし、入居間もない頃は、認知症への不安や愚痴を、会いにいくたびに訴えるので、少々大変でした。私も認知症について学び、母の手を握り、目を見て話をするように心がけたところ、認知症の進行もあったとは思いますが、次第に母の心からも不安が消え、お気に入りの水辺の景色を眺めながら穏やかに過ごせるようになりました。
昨年の夏にお母様は体調を崩され、医師から「残りの時間はそれほど長くないと考えてください」と告げられましたが、H様や医師、スタッフも驚くほどの回復ぶりでお元気になられました。
母はとろみ食ですが、現在も自分の口で飲食しています。ただ昨年の夏は飲み込みが悪くてあまり食べられず、体重が28kgまで減ってしまい、先生からもお話があった通り、「残りの時間」を意識しました。ところがその後、スタッフの方たちの細やかなお世話のおかげで、ドリンク剤で栄養の補給をしながら食事の量が増え、体重は30kgを超え、驚くほど元気になりました。入居者やスタッフの方たちから、「髪や肌のつやがよくなった」とほめられて喜んでいます。
こちらのホームのスタッフの方たちは年齢層が幅広いのに、チームワークがよく皆さん明るくて本当にありがたいです。スタッフの方たちに笑いかけられると母はにこやかな表情になり、私が「いいわね」と声を掛けると、うれし涙まで流します。とくにお気に入りの若い男性スタッフがいて、ファーストネームを呼んでもらうと、満面の笑みで手を差し伸べ喜んでいます(笑)。
「きれいな景色が見えて、ここでよかった。ありがとう」と以前はよく言ってくれたことが印象に残っています。現在は、母が話す内容は理解できませんし、私のことを娘だと認識しているのかもわかりませんが、「空がきれいね」というと「きれいね」と返してくれます。今はその母の笑顔を見ているだけで幸せを感じます。
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