ホームでの平穏な日々は、母にとってかけがえのないものとなりました
自立心旺盛なお母様は、ご家族のサポートのもと多彩な趣味を楽しみながら、一人暮らしを続けていました。90歳を過ぎた頃から、転倒の回数が増え、できることが少なくなり塞ぎこむ毎日。脳梗塞などで入退院を繰り返し、ホーム入居を考えました。
母は、80歳の時に父と死別したのですが、自立心が旺盛で、「体が動く限りは、一人でも自宅で自由に暮らしたい」という強い意志を持っていました。そんな母の気持ちを尊重し、私たち家族は一人暮らしを応援することに。当初は、介護ヘルパーさんのお世話になりながら、謡や墨絵、スケッチなど以前からの趣味を続けて、私たちも旅行に連れだすなどして母も老後の生活を楽しんでいました。
ところが90歳を過ぎた頃から、転倒の回数が増えました。自分でできる家事が少なくなり、ヘルパーさんに全面的に支えてもらう生活になり、趣味の外出や旅行も困難になっていきました。今までできていたことができなくなり、ストレスがたまっていったようです。さらに、耳の聞こえも悪くなり、周りの人との会話ができず、塞ぎこむことが多くなりました。友人関係をなにより楽しんでいた母でしたから、とてもつらかったでしょう。
それからは、脳梗塞、肺炎など入退院を繰り返すようになりました。そしていよいよ、退院しても自宅での生活は難しいとの主治医の判断もあって、ホームを探すことにしたのです。母も理解してくれていました。
何軒も見学して「ここだ!」と決めた『 メディカル・リハビリホームくらら戸塚』。いきいき働くスタッフの明るい対応が決め手だったそうです。入居当初は馴染めなかったお母様でしたが、短期間でホームの暮らしに慣れてリハビリに励み、おしゃべりを楽しめるようになりました。そんなお母様の姿を見てT様ご夫婦は、喜び、安心されました。
ホーム探しは、病院のソーシャルワーカーの方に相談したり、インターネットで探したり、何軒も見学しました。5軒目で『メディカル・リハビリホームくらら戸塚』に巡り合え、私たちは「ここだ!」と直感したのです。
いろいろなホームを見学してわかったのは、建物や設備は大同小異で、決め手は“人”だということでした。こちらのホームは、スタッフの方たちがいきいき働いていて、私たちへの対応も素晴らしかったので入居を決めました。思った通り、スタッフ間の情報共有がとてもスムーズで的確でしたし、私たちもスタッフの方たちとコミュニケーションし易く、とても助かりました。
入居前にスタッフの方が母の入院先に訪ねてこられ、母はにこやかに「よろしくお願いします」と対応していました。しかし、心の底では家を離れるのはつらかったのでしょう。
入居当初は、私たちが訪問しても不機嫌で「誰がここの入居を決めたの!」ときつく迫られることもあり、介護の難しさを改めて強く意識させられ、このような状態でお任せしてよいのかと感じたこともありました。そんなとき、スタッフの方に「私たちは介護のプロです。安心してお任せください」と背中を押していただき、目が覚めるような思いでした。そして、「介護のプロ」との言葉通り、ホームに行くたびに母の表情が穏やかになっていくのを見て、スタッフの方たちへの信頼感が強くなっていきました。
入居して3週間あたりから母はリハビリに積極的に励み、食事も十分に食べられるようになりました。元気だった頃の母を取り戻し、スタッフの方たちとのおしゃべりを楽しめるようになり、私たちを笑顔で迎えてくれるようになったのです。
お母様は元気を取り戻したのもつかのま、誤飲での入退院が続きました。退院のとき、「ホームに帰りましょう」とT様ご夫妻が声をかけると、顔がパアーッと明るくなったそうです。最後の入院は肺炎が原因の呼吸困難でした。1週間後、ホームに帰ることが叶わずご逝去されました。T様ご夫妻は、最後の日々をホームで暮らせて本当に良かったとおっしゃっています。
最後の日々は入退院の繰り返しでした。それでも、退院してホームに戻ると元気を取り戻す母を見て、介護のプロの質の高い仕事ぶりに驚きました。母の気持ちを細やかにくみ取ってお世話をしていただき、母はとても幸せだったと思います。願わくば、ホームで最期を迎え、スタッフの方たちに温かく見送っていただきたかったのですが、あっけない最期で叶いませんでした。それでも、お別れの会に多くのスタッフの方たちがいらしてくださり、私たち夫婦と手を取り合って涙を流すほどでした。短いホームでの生活でしたが、心の通い合うスタッフの方たちに恵まれ、とても濃密な時間でした。もう少しお世話になりたかったと思うほどです。こちらのホームに母が入居できて本当に幸せでした。
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